2017/04/03

散文 prorsus


私が渋谷に行くのは大概がネジや釘を東急ハンズで贖うためという地に足つき過ぎた動機なので、その対比から、道行く若者達が眩しく見えて仕方がない。浮ついてこそ若者だ。桜の花がほころびだす頃、若き人を落ち着かなくさせる謎の物質が空に舞う、目には見えないけれどそれはきっと薄桃色の靄のように街を覆い、そわそわと青い人心を誑かす。どこかで誰かがなにかや誰かに恋や愛や夢や絶望を感じやすい季節だから、きっとそこにまさに今、いずれ花開く芸術のようなものが芽生えているのだろう。今日の春の日に動かされた心を物語として紡ぐ作家が現れるかもしれない、などと考えると桜の下でしばし目を閉じてほくそ笑んでしまう。

「何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」(閑吟集 54、55番)

思えば遠くに来たものだ、と折に触れて思う。駒沢公園をダラダラとはいえランニングするようになったり以前はほとんど食べなかった野菜を積極的に摂るようにしたりという健康志向、夜半に?ちゃんと神戸の某大学の庭に魔法陣を書いて遊んでいた暗黒期からするともはや別人のよう、だと自分では思っている。精神面だけでなく、もう目の周り黒くしたり、ラッフル!ケミカル!レース!と言ったメルヘンという名の暴力を振りかざすような服も着ないし。今でもそういった過剰な装いの人を見るのは大好きだけど。遠くに来たというよりも大人になったというべきか。まあ大人っていうか初老だけど。 ただ、リビングで遊ぶ娘とその友達を背後から悪霊スタイル、逆さ四つん這い、で急襲して半泣きにさせたりするスキルに関しては、かってのアングラでオカルトな過去が隠しきれないというか、溢れる三つ子の魂百まで感。

結局まだ何も読みはじめていない。お付き合いしているのは相も変わらず英語に苦戦しているヒエロニムス・ボスの解説集とモーリス・メルロ・ポンティ「知覚の現象学Ⅱ」(1972、みすず書房)だけど最近夜は普通に眠くて進みが遅い。

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