2017/06/07

薔薇と髑髏


昨日の夕方の怯んでしまう程の豪雨の中、お稽古から傘も持たずに帰宅する娘をバス停で街ながら一瞬いろいろ見失う。雨がアスファルトを白煙で覆いはじめた頃、なんとなく自分がまだ生きてることに驚いたし、それでよかったとも思ったし、大丈夫だと言い聞かせなくては焦ったけれど、そうしなくても大丈夫な自分に気付き安堵。ふと我に返ったのか、ふと我を手放したのか、わからないようにして現実から乖離していく。ああ、子どもの頃はこんな万年思春期な大人になってしまうなんて思ってもいなかった。


海野弘「ヨーロッパの幻想美術-世紀末デカダンスとファム・ファタール(宿命の女)たち」(2017、パイインターナショナル)このシリーズは発色が過剰に良くて装丁も綺麗なので見かけるとつい買ってしまう。小口に浮かぶ絵柄が薔薇と髑髏になるのにもグッとくる。

経済崩壊や内戦などの有事の際、預金や不動産や有価証券はその価値を失うかもしれないし持って逃げることは出来ないけれど教育は違う。着の身着のままで逃げたとしても知識や教養は我が身と共に持って逃げることが出来る唯一の財産となる。というのが、たぶんユダヤ人の考え方から学び、父がモットーとしてきたことだ。その結果がこのテイタラクなのでちょっと父が気の毒ではあるけれど、いちおう私もそうだと強く思っている。ついでに言うと、社会通念や道徳の前で身を正し口を噤むべき事も多いけれど、心の中では何をどう思おうとも自由であると。だからというか、なんというか、出来る範囲内ではあるけれど、そのための学習や経験の機会にお金を惜しむべきではないのだと自戒。結局まだサマースクールには申し込めてないけれど、娘の夏のあれやこれやの手配を済まし、軽くなったお財布を慰めるために、そういうことを思い返してみたりした。基本的に吝嗇なので「いいんだよ(© 夜回り先生)」って言われたい。いや言われたくない。金城武に後ろから抱きしめるようにして一緒にサマースクールの申し込みのクリックをして欲しい。

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