2017/04/09
花は盛りに月は隈なきをのみ見るものかは
呑川沿いの桜が満開で目に痛いほどの美しさ。白々と輝くような真昼の美しさも素晴らしいけれど夕暮れ時の薄桃色に発光するような妖しさにこそ惑わされる。絢爛とした桜を見上げながら、いつの日か今日のこの桜を幸せだったころの記憶として思い出すような辛い日が来るのかもしれない、と思ってしまう。毎年思ってしまう。感情の起伏に乏しい私でもこのようにして感慨にふけるのだから、桜が人心を惑わすなぞと言われているのも納得できる話だけれど、お酒を飲み過ぎただけなのかもしれないしで、実のところよくわからない。
そういえば大昔に泥酔して玄関で靴を脱ぎながら寝ていたのも、家の前の電信柱に引っ掛かって友達に助けられたのも春だった。学生時代の夫とその友人を天王寺のカラオケボックスの階段まで拾いに行ったのも春だった。友人の別れた彼の写真を燃やす手伝いをしていて通報されかけたのも、浮気がばれた友人が鬼の形相で追いかける彼女から自転車で逃げて派手に転倒したのも、全部春だった。こわいこわい。
金曜日、夕方、街にはお疲れ顔の新入社員らしき人々。大変だよね頑張って!というエール的な気持ちが湧くような人間でありたかったと思いはするけど、いひひひ大変だろうよ自分の時間が取れなくて悲しいだろうよ慣れるまでの辛抱だと思ってるだろうよでも慣れたら慣れたで仕事が増えるんだよもう走り続けるしかないんだよひひひひ、としか思えない自分に気付く。結局は望まれてそこにいるということを自覚して前に進むしかない。心や身体を病んでまで続ける必要はないけれど、可能であればそこでより良くあり続ける努力をすべきで、この時期のそういった苦労が後々の仕事や話の種になるのだから自分の為だと思ってやはり前に進むしかない。月並みな言葉だけど、人生の財産、になる。ような気がする。
黒川博行「喧嘩 すてごろ」(2016、KADOKAWA)読了。疫病神シリーズの最新刊ということで手に取ったけれど個人的には芳しくなく。「国境」「暗礁」くらいの関係性と緻密さを期待してしまうほうが悪いので、要は好みの問題。私はしばらくはお休みする。ようやくアルナルデュル・インドリダソン「声」(2015、東京創元社)を読み始める。
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