2017/04/19

不定の愁訴


不定愁訴(ふていしゅうそ)とは
「頭が重い」「イライラする」「疲労感が取れない」「よく眠れない」などの、何となく体調が悪いという自覚症状を訴えるが、検査をしても原因となる病気が見つからない状態を指す。患者からの訴え(主訴)は強いが主観的で多岐にわたり、客観的所見に乏しいのが特徴。症状が安定しないため治療も難しく、「わがまま」などと思われ、周囲の理解を得られないことが多い。

身体のいろいろな部分の調子が悪い。具体的に言うと、左肩が上がらないし右親指が痛くて力が入らないし胃が重いし肋骨当たりに違和感があるしそれに気持ちが何より落ち着かない、などなど。これらを一度に医師に訴えたところで、先生の向かって左目に「ねんれいの」、右目に「せいですよ」という文字が浮かんできそうなほどに不定愁訴を疑われるような気がする。ということで幼馴染の医師に相談したところ「整形外科でみてもらいな」「神経内科に行ってみな」という的確かつ受診相談窓口的なアドバイスが。でもまあその通りなので昔から不眠でお世話になっている先生に最近の落ち着きのなさ、たぶんパニック未満の動揺、を具体的に訴えてみたところ、前から一度お話ししようと思っていたけどしんどくないですか?すごく生きにくでしょう?もっと生きやすくなるお薬処方できるんですよ?といつにない優しい眼差し。えええええ!なにそれええええ!生きやすいってなにいいいいい?急に優しくせんといてええええ!?けけけっこうです!だだだいじょうぶです!と固辞して退散。

徳永英明が発声が変わることを恐れて歯列矯正できないように私もまたこの生きにくさがないと私でなくなってしまうことが怖いのだ。というかこの生き方がデフォルトなので良くわからない。人々は汚染を恐れて真夜中に置きだして急に除菌して回ることもあまりないのだろうし、引き出しの中にコロボックル的なものがいるか気になって不意打ち開きに行くということもないのかもしれない、でもこれは先生にも言ってないし、自分でもおかしな習慣だと思っているくらいなので、別に生きにくさを感じているわけではない。そもそも自分の奇異さを詳らかにしても、みんな誰でもそれなりの奇妙さは持っているわけだから、ようは社会や世間や家庭でどこまで折り合いをつけられるかなのだろう。折り合いはついてるし、これからもつけるし、それはもう積極的につけていくから、請け合うから。

数年前に、この顔この肌この身体で生きていくのだなあとしみじみ感じ、大切にしていかなきゃいけないと思った。そして今日、この精神で生きていくのだと自分で決めた。折り合いをつけながらも大切にしていこうと、でもいつか、具体的には創造的ないその生きやすさというものを、試してみたいという好奇心も道連れにして大切にしていこうと、思った。でも知っている、程度の差はあれども誰もが息苦しさ生きにくさを感じて生きているということぐらい。私にとっては、家族や友人との関係がそれらを優しく癒してくれるから、感謝の気持ちでもって、これからも「わがまま」を受け入れてもらえるように、せめて誠実に生きようと、徳永英明以外の例えを思いつかない自分を憂いながら、思ったもりした。

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